皆さんは一中グラウンドに佇むこの胸像についてご存じでしょうか?この胸像は明治晩期から昭和初期にかけて日本の教育に尽力した神栖市出身の教育者、峰間信吉です。
峰間信吉先生は日本の教育に熱心に取り組み、さまざまな活動を行いました。「日本の未来を担う子どもたちの教育に携わる小・中学校教員は、最も優遇されてしかるべきだ!」と大声で主張していました。その思いを引き継いだ後輩の先生方は熱心に教育を行っていましたが、子どもたちへの教育を最優先した先生たちは他郡に移動させられてしまいました。そのとき、各学校から全生徒、全職員、保護者たちおよそ600人が集まり、涙を流して先生たちを見送ったのでした。
その後輩の先生たちのことを聞いて感激した峰間信吉先生が造ったのが、「神栖一中の校歌」です。
神栖一中のHPにはこうしてつくられた校歌の意味や解釈が載っていますので、よろしければご覧になってみてください。
