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06大野原開拓史

pc 大野原地区に伝わる古いものについて調べました
神之池に伝わる話 木崎のビッキ松 息栖神社
二本松いせき 白鳥神社 地いきに伝わる年中行事
港祭り 大野原地区のぼんおどり 孫わたし

神之池に伝わる話(おとりの手掛け松)について

四年三組    K・T   J・T   T・Y

みなさん,神之池に伝わる話を知っていますか。実は,神之池には「おとりの

手掛け松」というお話があります。次に,「おとりの手掛け松」のあらすじを説明

をします。ある日,「五郎兵衛」というりょうしのふうふが「おとり」という美しいむす

めと住んでいました。ある時、魚が取れなくなったので神之池の神様に「大とり

い」をさしあげる約束で魚をとれるようにしてもらいました。ところが,神様はかん

ちがいをし,おとりをつれさったというお話です。

このお話が,いつ作られたか,だれが作ったかを私たちは調べたのですが,わ

かりませんでし た。次は「おとりの手掛け松」をくわしく説明します。

昔々,神之池のほとりに「五郎兵衛」という漁師とむすめの「おとり」が住んでい

ました。ある日,魚が取れなくなって,神様においのりしたのです。すると,次

の日からたくさんの魚が取れるようになり,五郎兵衛は約束どおり,「大鳥居」

をおそなえすると,神様は「おとりを供えなさい!」と言い,かんちがいをしてし

まいました。そして,五郎兵衛は家にアリ一ぴきも入れず,とびらをかたくしめま

した。すると,大きなヘビがえんとつから入り,おとりを連れ去りました。そして,

おとりは神之池のおく深くに引き連れこまれました。この名前の由来は,おとり

が池に引き連れこまれないようにつかんだ木から「おとりの手掛け松」と言われ

るようになりました。次は,神之池に伝わる話についてです。

神之池に伝わる話には「おとりの手掛け松」があります。でもそれ以外にも,12こ

あるそうです。どれもおもしろそうですよ。次に13このうちの3つの名前をしょうかい

します。一つ目は「童子女のまつばら」です。二つ目は「かむらの八りゅう神社」です。

三つ目は,「つついじょうみょうとごくらく寺」です。まだ他にもありますが,自分で

調べてみてください。次は,みなさんへのお願いです。

みなさんへのお願いは,神之池に伝わる話をいろんな人に伝える,ということ

です。神之池に伝わる話をもっと知りたい人は,調べる方法として,しりょう館の

人に聞くか,図書館で本をさがす方法があります。また,知ってもらうためにわた

したちができることは,神之池に伝わる話をいろいろ調べ,いろんな人に話して

伝えようと思います。

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二本松いせきについて

四年三組    S・T   M・O   M・O

みなさん二本松いせきを知っていますか。場所は,木崎にある工場のとなりに
林や木がいっぱいある所です。二本松いせきでは,大昔の人がくらしていた
しょうことして,ちゃわんなどが見つかりました。なぜ,いせきをほることになった
のかというと,二本松を工事することになったからです。工事をしていたら,石に
まじってどきのようなかけらが見つかりました。そのことがきっかけです。
二本松いせきでは,どきのようなかけらが見つかりました。二本松は,昔の人
が住んでいなかったとされていますが、なぜ,どきのようなかけらが見つかった
のかというと,川の方に住んでいた人たちのどきが水害にまきこまれ,水路をた
どって二本松に流れてきたからだそうです。
次に,かんばんの説明をします。昔,「寒田郎子」という若者と「あぜんのおとめ」
という少女が住んでいました。たまたま二人が会って,夜のふけるまで語り合って
いました。鳥が鳴いて朝を知った二人は,はずかしさのあまり二本の松になって
しまったという話がかんばんに書いてあります。そのかんばんに書いてあったこ
とが,二本松という名前の由来になったのかもしれません。また,くびづかの
お話があります。昔,木崎には,なくなってしまった人たちがうめられている所が
ありました。でも,ぼくのお父さんは,そこで平気であそんでいたそうです。もう,
そのうわさはなくなって,みんなこわらがなくなりました。ぼくのしんせきの人にくび
づかの話を聞きました。
みなさんへお願いすることは,いせきがあった所を勝手にほったり,いせきの
所で遊んだりしないでください。また,車を勝手にとめたり,ごみをすてないでく
ださい。二本松いせきのことを知ってもらうためには,今はただの松林になって
いるので,ビッキ松にあるようなかんばんがあるとみんながわかるので,かんば
んがあるといいなと思いました。
四年三組    T・K   S・S   S・O

みなさん,港祭りを知っていますか。七月下じゅんに,タイヨースーパーとベスト

リカーの間で行われます。

港祭りは,鹿島港の建せつをする事になり,住んでいた人達が浜松地区にいて

んをして,ふるとがこいしくなり,大人も子供も楽しめるものをつくろうとしてできた

ものだそうです。

港祭りは,だしや屋台が出てにぎわう祭りです。第二ちゅう車場で,ビンゴ大会

があります。みなさんもいってみてください。

また,港祭りができた理由は,おおのはら開拓のれきしとも関係しています。

いぎり浜の人たちは,鹿島港建せつで最初は反対しましたが,何回もの話し合

いの結果,大野原という地をゆたかにする事をじょうけんに全員反対することな

くいてんを決めました。そして,いぎり浜の人達は,浜松地区にいてんをしました。

しかし,ふるさとがこいしくなり,ねられませんでした。そこで,いてんしてきた

人達は,もともとすんでいたところが港になったため,ふるさとの事を思い,つく

られたのが港祭りだそうです。

今と昔で変わったことは,景気が悪いので,開さいするのがとても大変なこと

です。港祭りは,はなやかにたのしめる祭りです。今年で36年目です。不景

気なのに続くのが不思議です。

みなさんへのおねがいは,ごみはごみ箱にすててください。また,時間になって

も残っているのはやめてください。また,港祭りを残していくために,若い人達に

言いつたえていきたいです。

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木崎のビッキ松について

四年三組 A・S   R・S   M・A

みなさん,木崎にあるビッキ松という木を知っていますか。知らない人もいるで

しょう。今は,もうありませんが,あったころは,人々から親しまれていました。ビッ

キ松の種類はクロマツです。クロマツは一定のじゅれいをすぎると横にえだをの

ばしますが,このような形になるまで残っていたのはとてもめずらしいです。


初めに,ビッキ松があったときの大きさや種類を説明します。ビッキ松の種類

の「クロマツ」は「本州・伊豆諸島・四国・九州」などに生えています。まず,高さ

です。高さは約15mです。とても高いですね。次に幹の太さです。幹は最大

で、直径約80cmです。とても太いですね。最後に,ビッキ松の周囲です。周

囲は,約2m50cmです。すごく長いですね。ビッキ松の高さや周囲,種類

ど,たくさんのことが分かりましたね。

次は,ビッキ松のれきしについてです。ビッキ松のじゅれいは, 300年をこえる

といわれています。すごいですね。残念ながら,ビッキ松はもうありません。なぜ

なら,平成七年に松食虫のひがいのため枯れ始め,平成八年には,ついにばっ

さいすることになってしまったからです。長い間人々に親しまれたビッキ松は,こ

れからも私たちの心の中で生き続けてほしいです。

最後に,ビッキ松のべつ名についてです。このビッキ松は,えだ が頂上からた

下がり,かさのような形をしていたことから,「カラカサ松」とよばれていたそう

です。


みなさんへお願いすることは,ビッキ松のように大切にされている
木もあるの

で,かってにえだをおったりしないでください。木もみなさんと同じように生きてい

ます。なので,自然を大切にしてください。そして,みなさんが大きくなった時に,

この木崎地区に大きなビッキ松という人々から親しまれた松の木があったことを

話して,たくさんの人に伝えてください。お願いします。

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白鳥神社について


四年三組    A・N   M・K   T・G

みなさん,白鳥神社を知っていますか。田畑地区にあります。木々にかくれて

いるので知らない人も多いでしょう。白鳥神社は,せきひやとりいなどが合わせ

て八つあります。


次に白鳥神社のきまりをせつめいします。

・とりいは,右がわから通ってください。理由は,左がわは神様が通るといわ

ているからです。

・石ひやかん板は,たてから読みます。

・大声を出さない。


・おいのりは,二回たたいていのります。

次に,白鳥神社にある石ひの内ようをせつめいをします。日本武尊をごさいし

として仰ぐ白鳥神社は,古来から田畑地区民の尊敬する社です。田畑地

の氏子や崇敬者の総意で半永久的な石造の鳥居とすることとなり,神社の

の弥栄を祈念し建立する,と近くのかんばんに書かれています。

また,白鳥神社は,日本武尊を祭神とし,慶雲(七百六年)に創設されたとい

れています。「茨城県神社誌」によれば,この年の三月に日本武尊が東国平

定のためにこの地に立ち寄ったことから神社を造ったとされ,日本武尊は,十一

月酉の日まで滞在し,その後,霞ヶ浦を目ざしていったということです。

このため古くには,旧十一月の酉の日に例祭を行っており,そのさいには水

鳥を奉納する習わしがあったそうです。周辺の神社にも,日本武尊が現在の新

沼川を渡るさいに最初に渡ったのが木崎隆之神社がある場所で,一渡の地名

が残され,次に川を渡ったのが,萩原地区にある隆之神社で,二渡神社とも呼

ばれていたそうです。最後に渡った場所が,高浜地区の三渡神社で,こちらも白

鳥神社と同じく日本武尊を祭神としています。この高浜地区には,市指定の無形

文化財である獅子舞が残され,毎年この白鳥神社で奉納されます。今もなお地

区の鎮守として人々の崇敬を集めています。


みなさんへのお願いは,ゴミを捨てないでください、かんばんにらく書きをしない

でください,石ひに乗らないでくださいということです。また,白鳥神社を知っても

らうため残していくために,れきしをみんなにつたえ続けます。四年三組のみんな

に最初発表して,四年三組のみんなが学校の人に教えていけばいいと思います。

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大野原地区のぼんおどりについて

四年三組    S・T   Y・A   H・M


みなさん,大野原地区のぼんおどりを知っていますか。ぼくたちは,ぼんおどり

についてせつめいします。

ぼんおどりでは,店を出して,中央にたいこを乗せた台があってその周りを人々

がおどっています。ぼんおどりの目的は,亡くなってしまった人をくようするために

感しゃの気持ちをこめて、たいこや音楽に合わせておどります。


何のためにぼんおどりが行われているかについて説明します。ぼんおどりは,な

くなってしまった人をいつまでも心の中にいることをわすれてしまわないようにする

ための行事です。なので,なくなってしまった人にたいするたいどを考えると,たと

えば,ぼん祭りといったら失礼ですよね。そのほかにも,なくなってしまった人にたい

するたいどを考えてみてください。

次に,ぼんおどりのないようをしょうかいをします。毎年八月中じゅんに,さつき公

園で行われています。おぼんの日は,なくなってしまった人が帰って来る日です。

おどっている人や見に来ている人は,となりになくなってしまった人がいると思っ

て,楽しくぼんおどりという行事をやっていることでしょう。今年は,32回目,

つまり32年前から行われています。とても昔からやっていてれきしがありま

すね。ぼんおどりの日には,やたい,くじ引きなどをやっています。新港地区の子

ども会に入っている人や新港地区の人には,ジュースのプレゼントがあります。

みなさんは,ぼんおどりのことをどう思っていますか。では,ぼんおどりを,おど

っている人々は、どのような気持ちかを説明します。ぼんおどりをおどっている人

々は,昔なくなってしまった人に「帰ってきてくれてありがとう」という気持ちでおど

っていると思います。

みなさんへのお願いです。公園にごみなどをすてないでください。ぼんおどりや

そのほかの行事にめいわくがかかります。あと,ぼんおどりは,初めに言ったよう

に,亡くなってしまった人をくようするために行っているので「祭」とよばずに「おど

り」と言いましょう。地いきの人にぼんおどりのことをより知ってもらうために,みん

なで教えたり教えてもらったりすれば、たくさんの人が覚えて記おくに残り、ずっと

神栖の伝とう行事になると思うので,みなさんでぼんおどりのことを伝え合ってい

きましょう。

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息栖神社について


四年三組    T・S   Y・M   H・S

みなさん,息栖神社を知っていますか。白十時病院の近くにある神社です。息

神社は,約1200年前にたてられました。東国三社の一つでもあります。おさ

いせんやお宮参りをする所です。息栖神社のたてられた目的は,海の安全や交

通安全を守ることです。


最初に,古くからあるものをしょうかいします。息栖神社には,「力石」がありま

す。「力石」とは、昔、祭りでわかものたちが力くらべをするのに使われていた石

です。「力石」は、丸くてつるつるしています。「宮ざくら」は,昭和五年七月にでき

た木です。「宮ざくら」は,柱で支えられています。春には満開のさくらが見られま

す。見に行ってみるのもいいでしょう。「ご神木」は,約1000年前にできたと言われ

ています。文字通り神様の木という意味です。みなさんも大切にしましょう。


次に「東国三社」についてです。「東国三社」とは,東の国の三つの神社です。

息栖神社のほかに,鹿島神宮とかとり神宮があります。「東国三社」を地図上

でむすんでいくと,およそ直角二等辺三角形がえがかれるのです。また,三社と

も2000年以上のれきしがあります。「東国三社」の意味は,「今みずからなみちを

みすえ,かなめとなるけついをささげるための場所」という意味です。 最後に,

これからどんな息栖神社にしていきたいかです。息栖神社のあらいさんによる

と,息栖神社の神様は,外に出たらがない神様がたくさんいます。でも,みんな

の目に見えない所で守ってくれています。なので,みんなが「ありがとうございま

す。」とお参りに来る息栖神社にしたいそうです。

みなさんへのお願いは,大切な息栖神社をよごさないで下さい。おかしのふく

ろやペットボトル,空きかんをすてないで下さい。また古くからあるものをいたず

らせずに大切にしてください。そして,息栖神社を残していって下さい。息栖神社

を残していくため,れきしに残る息栖神社にしていくために,ぼくたち私たちは、

くさんの人に話して伝えていくのでみなさんも協力して下さい。

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地いきに伝わる年中行事について


四年三組    T・I   Y・Y   H・M   J・O
みなさん,年中行事という言葉を知っていますか。これからぼくたちは,分かり

やすく年中行事のことを説明します。毎年決まった日に行う行事を年中行事と言

います。かん単に言うと、お正月などの行事を言います。

次に年中行事の言葉の意味をせつめいします。「庚申講」(こうしんこう)とは,

こうしんのよる人の身体の中にいる三戸(さんし)という虫が人のねむってい

間に天におり,天上の神にその人ざいかをつげるとも,命をちぢめるともいい,

人々は亥の子もちをついてその日を祝いました。「念仏講」(ねんぶつこう)とは,

ねんぶつしんじゃの会合をいいます。「お酒盛」(さかもり)とは、ろうじょたちが

集まって,ごこくほうじょうと家内安全のきがんをします。「村きとう」とは,大はん

にゃきょう600かんの入った箱をかついでしゅうらく内をまわり,村内の安全

ごこくほうじょうをきがんするものです。オダイハンニャや,オデエハンニャとも

よばれます。「初午」(はつうま)とは,2月初めの午の日に行われるいなり社の

祭りをいいます。「てんじんこう」とは,子どもたちが春夏冬の休みにまわりばん

でやどを決めて行います。子どもの中の年長者が,天神様などを長い半紙にす

みでかき,それを神だなの下などにかかげておまいりします。そして食事を作っ

て食べたり遊んだり,習字をしたりして楽しく一日をすごします。「待講」(まちこう)

とは,げんざいでは,こんしんかいとして,人々の楽しみの一つとなっているよう

です。

次に,大野原地区でげんざい行われている行事をしょうかいします。浜松では,

港祭りが七月の最後の土曜日と日曜日に行われています。大野原地区では,

毎月一日にお酒盛りが行われていて,毎月二十三日に三夜講が行われていま

す。木崎地区には庚申講と待講が行われています。高浜地区では,孫渡し(おぼ

やき)と,毎月一日に行われている待講と,毎月一日に行われている念仏講と,

神講と,年に六回行われている庚申講と,年に三回行われているお酒盛りと,

毎月二十一日に行われている大師講があります。
また,昔から伝えられている年中行事もあります。大野原地区では,毎年十月

十日に亥の子を行います。浜松地区では,毎年二月に初午を行います。高浜地

区では,毎年二月に村きとうや初午,十月に亥の子を行います。木崎地区では,

二月に初午を行い,毎年二月十七日にちんじゅ祭を行います。

みなさんへのお願いは,年中行事を地いきの人や知らない人たちに伝えてほ

いです。また,年中行事をわすれないでほしいです。たとえば,年中行事につ

ていけばいいと思います。そして,年中行事があることを教えて,みんなで伝

え合っていけばいいと思います。

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孫わたしについて

四年三組    Y・M   Y・I   N・S

皆さんは,孫わたしを知っていますか。まごわたしは,昔おこなっていた行事の

名前です。しかし,今は,ほとんど行われていません。
まごわたしは,孫のたんじょうを祝う行事です。孫に着物を着させてわたします。

孫わたしは,孫が幸せになるように願って行われました。また,服やたんすにこま

らないようにトラックいっぱいに乗せました。

次に,どんなふうにまごわたしをやっていたかを説明します。まごわたしは,およ

めさんにいって赤ちゃんが産まれて実家に帰ってから,赤ちゃんをお母さんのお母

さんがお父さんのお母さんにわたします。そして,おどったり歌を歌ったりします。

次に,どうしてまごわたしをやっていたのか,どの地区でやっていたのかを説明し

ます。最初に,どうしてまごわたしをやっていたのかです。孫がりっぱになるように

だと思います。次に,どの地区でやっていたのかです。高浜やしもはたき地区で

やっていました。

次に,まごわたしがいつごろからあまりやらなくなったのかを調べました。山中

先生にしつ問して,そのことをわかりやすく説明します。昔,しもはたき地区(今の

高浜など)では,五十年くらい前にやっていたそうです。でも,今はみんながれきし

を伝えなくなったのでやらなくなってきてしまいました。とてもざんねんです。

まごわたしをみんなに知ってもらうために,言葉でわたしたちぼくたちが伝えて

いきたいと思います。そして,みんなが広めてほしいと思います。お願いします。

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大野原開拓の年表



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